休日に

「でも結局はみんな死ぬ。」僕は試しにそう言ってみた。

「そりゃそうさ。みんないつかは死ぬ。でもね、それまでに50年は生きなきゃならんし、いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりずっと疲れる。そうだろ?」

 そのとおりだった。

                                        ――村上春樹風の歌を聴け』より。

 

 

 今日、久しぶりに日帰りの温泉へ出かけた。

 風呂にたっぷり浸かれるというのは、本当に素晴らしい。溜まった老廃物、疲労、すべてが汗と一緒に流れ出ていく。家では意識の片隅に居座って邪魔をする水道代も、外で入るのならば気にしなくていい。そして風呂から上がった後は、自販機で買ったコーヒー牛乳。もう何もいらないとさえ思う。

 こなすだけで疲れ果てる日々があればこそ、風呂の良さは輝く。酒の旨味も増す。最近、つくづく実感することだ。スーパーで買ってきた缶チューハイが、ひどく美味しい。そしてそのことが、嬉しい。

 

 時折、この先ずっと続く人生の長さを思うと辟易する。今の日本人の平均寿命が、男性でおよそ80歳、女性はなんと約87歳らしい。 50代が長寿と言われた昔々の時代から考えれば有り得ない話だ。まあその頃私はまだ存在していないから、どんな具合だったのかは知るよしもないのだが。

 折に触れて祖父の年老いた背中を見るたびに、あの歳まで生き続けることができる秘訣はなんなのだろうと思う。訊いてみたことがあるが、ぼんやりした返事しか帰ってこなかったので細かい回答は忘れてしまった。祖父は定年まで勤め上げた人だったから、きっと、考える暇もなかったのだろう。

 自分にはとても、そんなに長く生きていけるとは思えない。でも同時にこうも考えている。目の前のことをなんとか片付けていくうちに、人間はいつの間にか年をとってしまうものなのだろうと。親や周りの大人を見ていると、そう思う。誰もが、年をとることをもはやなんとも思わなくなってきているようにさえ見える。違うのだろうけど、私にはそう見えてしまう。

 自分にも、彼らと同じだけの時間がある(はずだ)。

 その長い長い時間の中で、いったい何を考えながら生きていけばいいのだろう。前にも少し書いたが、きっと考えなければいいのだ。そのすべてに気づかないふりをすれば、それほどつらくもないのだろう。

 でも私には、私が考えることを止められない。そしてまた、取り返しのつかない時が過ぎ去る。

 私は、死んだら、どこへ行くのだろう。

 子どもの頃からそれが、気になる。

 

 

 サウナの後の水風呂につかりながら、そんなことを考えていた