Star Inn Tokyo日記 15

 平成最後の夏も終わりかけのところまで来ているが、それはしょせん日本だけの事情。海一つ隔ててしまえば年号などさしたる問題ではないということのようである。そんなわけで今日も新しい人の実働状況に目を配りつつ、せっせと外国人の皆様相手に慣れない英語を駆使し続けることになった。というか昨日今日にかけて予約がどっと入ってきたので、そのイレギュラー対応に追われることになった。お客が増えるのは働く側としてはありがたいこと、というのはもうとうの昔に承知しているが、この暑さの中遠路はるばるよくお越しですね、というのが正直な印象だ。しかもそれでいて、今フリースペースではアメリカ人の若い男性3人組がNetflixメン・イン・ブラック3をにこにこ笑いながら見ている。他にもマレーシアからお越しのけっこう日本語が話せる学生やフランス人の美女二人連れ、同じくフランス人のスーパーアクティブな七十代のご夫婦等々、今日もここは人種国籍入り乱れて実に賑やかである。

 ただ、よりにもよって七十代のじいさまが、パンツ一枚でフリースペースに入ってきたのにはぎょっとしてしまったが。

 

 

 外国人の方々と接していて思うのは、ひとえにパーソナルスペースの狭さだ。お客によってはないに等しい人もいる。みな気さくだし、ちょっとやそっとのことでは目くじらを立てたりしない。詳しく見たわけではないが、どうやら相部屋同士で仲良くやっていたグループも少なからずいたようである。

 翻って日本人のお客を見てみると、パーソナルスペースがなかなか広い。こちらに積極的に絡んでくる日本人のお客さんは、記憶にある限り一組二組しかいなかった。口を開くのは何か尋ねるときだけ、という人が多い、というのが正直な印象だ。

 かつてアメリカに行ったときにも思ったが、欧米圏の人々はとてもフレンドリーだし、いい言い方をすればおおらかである。実際問題、ろくに英語も喋れないし聞き取れもしない私が二週間以上もあの国で五体満足のままやっていけたのは、メンバーのみんなが根気よく私と話してくれたから、というのが一番大きかっただろう。そうでなければ早い段階で喋る相手がいなくなっていたに違いない。返す返すもお国柄に助けられた、というのが感想だ。ツアーメンバーアメリカ人はいなかったのだが。

 そういう欧米圏の空気が、ここでもいいように作用している。多少たどたどしくても、いちいち翻訳を使っていても、彼らのおおらかさの前ではなんとなく大丈夫、という感じになってくれる。おかげで前も今回も、随分長いことやり続けることができた。そのうち金を貯めて、またどこかに出かけたい。今度はヨーロッパか。

 

 

 ただ、一つだけいうなら、おおらかさにも悪い言い方がある。

 カンとビン用のゴミ箱に、しれっとペットボトルが捨ててあったりする大雑把さ、という言い方が。

 いいところと悪いところ。どこでもなんでも、そんな風だ。