生きててよかった

「生きていることってそれだけで奇跡」だという。

 しかし、これほど現実味のない言葉も珍しいと思う。

 より正確を期すならば「分かる人には分かるけれど分からない人には全然分からないし、しかも分からない人の方が圧倒的に多い言葉」だろうか。まあいずれにせよ、この純然たる真実がどうにもいまいち実感の掴めない言葉になってしまっている、というのが、現在の私の正直な感覚である。

 

 誤解を避けるために言うのだが、私は何も世の中の倫理観に挑戦しようとしているわけではない。上述の言葉が事実であることに異論を唱えることはまともに考えれば難しいし、そもそもそんな無意味な反論を唱える必要はどこにもない。これはただの独白だ。

 

 ちょっと想像してみた。

 今の世の中に、ごく当たり前な、何でもない一日に、心の底から躊躇いなく「生きてきてよかった」とか「生きてるって素晴らしい」と言ったことのある人が、はたしてどれぐらいいるものだろうか?

 ・・・・・・・・・恐らく、あんまりいないんじゃないだろうか。

 大抵の現代を生きる人間がこういった言葉を言ったり思ったりするときというのは、概ね予想だにしない幸運があったりしたときに限られていて、何事も起こらなかった日を振り返って思うことはほとんどないんじゃないかと思う。

 誰もが、生きていることをごく当たり前の事態だと捉えている。勿論、私も含めて。

 しかし一方でこの世の中には、生きていることをとにかく素晴らしく、偉大で奇跡的な出来事だとする見方が存在する。でも、その見方をしていて、かつ広めている人間というのは、大抵の場合何らかの不幸な状況にいる人間だ。

 彼らは、自らの境遇故に、それが奇跡であることを知っている。

 幸福な人間は、奇跡を単なる他人事としか思わない。そしていつも、それが自らに起こることを願っている。既に起こったことは忘れて。

 どっちみち、人間なのだが。

 

 昔、道ばたに咲いていた花を見たときのことを思い出す。夕日に照らされて風に揺れている、一輪だけの真っ赤な花。

 妙に目に焼き付いて、今でも覚えている。血が流れているように見えた。

 

 昔、私は貝になりたい、といった人間がいたらしい。

 そっちの方がよっぽど良いかもしれない。人間のように、考え続けなくて良いという点で。

 

  私個人は、海月になりたいと思うことがある。

 波と波の間を、ぼんやりと水に溶けながら漂っていたい。そう思うことがある。

 

「死にたくない」

 そう人間が叫ぶのは、いつも死ぬときだ。

 死ぬのが体でも、心でも。