冬来たりなば

 今日、電気会社から電気の使用量を告げる手紙が送られてきた。開けてみて愕然としたのは、料金が先月より500円近くも上がってしまったことである・・・・・・・・・私にとってこれはちょっとした事件であるのだ。

 暖まりたい。しかし現実にはもうちょっと時間が必要だ。ゆえに暖まるための話を、これからする。

 

 先月、冬は嫌いだと書いた。

 そのため、と言うかごくごく当たり前の話だが、私が冬を過ごすにあたって暖房を欠くことはできない。特に夜ともなればぐっと冷え込み、風呂上がりの湯冷めその他全身を襲う冷たさと戦うべく暖房をつけることになる。しかしいつでも私は、暖房のスイッチをつけるたびに電気代のことが頭をよぎる。これでまた、ゴリゴリとお金が消えていくなぁ、とそんな風に思いながら部屋の空気が暖まるのをじっと待っている。今もそうだ。

 躊躇いなくエアコンを、それもタイマーの設定もせずにつけることができる生活をしたい。そんな生活ができたらどんなに快適であろうか。しかし現実には、そんな生活はなかなかない。いったい月いくら稼げば、そんな富豪のごとき生活ができるのか。そして何より一番の問題は、私が現在、働きたくないと思っていることだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホテル暮らしとか、してみたい。きっと心に余裕が生まれるに違いない。勿論ホテルの宿泊料金はあるけども。

 

 胡座をかいているホットカーペットがようやく暖まってきた。少しはぬくぬくできるようになってきている。

 以前、いろいろあって火鉢というものを運んだことがある。平安の頃、女性が抱えていたあの丸い壺のようなやつだ。あれは実に暖かい。なにせ温風ではなく、まんま火に手をかざしているのだから暖かくないはずがないのだ。むしろ、しばらくかざし続けると熱くなってくる。しかも炭火というのはかなり長く燃え続けるし、炭を継ぎ足せば消える心配もない。今でこそ火災云々の懸念から見当たらなくなった暖房器具だが、電気が普及するまではずっとあれで冬の暖をとっていたのだ。そして何よりあれは、網を置けば餅が焼ける。

 私は、焚き火が好きだ。あれは、見ていても音を聞いていても心が和む。薪がはぜるあの独特の音は、木を燃やさないと聞くことができない。

 しかし今、焚き火を外でやると消防車が来る。火災に繋がる危険があるからだそうだ。つまらない話である。まあ燃えてからじゃ遅いのだけど。

 いつか機会を見つけて、暖炉のある家というものへお邪魔してみたい。あれはいったいどういう気分なのか、そして普段どのように使っているのか、かなり興味がある。そしてもしやれるのなら、実際に火を点けてみたい。そしてそのそばで、心ゆくまで暖まりたいと思う。

 

 まだまだ冬が続く。春遠からじと言われてもその長さが耐えられない。

 ただ、やっと、部屋は暖まった。