空に浮かぶもの

 今日は、晴れていた。晴れている日は、基本的に私は機嫌がよくなる。勿論すぐに変わったりするけれど、それでも目覚めたら雨降りというより、やっぱり晴れている方がいい。洗濯ができるし、布団も干せる。夜も晴れていれば、星と月がよく見える。そういうところが好きだから、機嫌がよくなる。我ながら単純だと思うが。

 

 空を見るのが好きになったのはいつぐらいからだったか。

 気がつくと、空を眺めていることがよくある。昼の方が多いが、夜も機会さえあれば見る。むしろ個人的には夜空を見るほうが好きだ。今の時期は冬の大三角をはっきりと見てとることができる。今住んでいる場所は建物の高さがさほどでもないので、空がよく見える。私のような人間にとってはありがたい話だ。

 いつも、じっと見続けているわけではない。短ければ数秒程度、長くてもまあ、数分というところだろう。夜空のほうが好きだとは書いたが、別に天体観測をしたことがあるわけでもない。ただ、空を見るのが好きというだけだ。だから、例えば夜空を見上げたとき、私には簡単な星座が分かるだけである。夜空には北半球と南半球合わせて、公式に八十八の星座が存在するそうだが、私が判別できる星座は六つか七つぐらいである。だから夜空を真に楽しんでいるとはあまり言えないかもしれない。しかし、何も知らずにただ見る星空というのは、言葉にしたくない面白みがある。いつかはもっとよく光る星空も見てみたいと思っているが、その実現はしばらく先だろう。

 一つ考え方が変わったとすれば、昔はいつだって綺麗だと思っていた月に対して、時折、星の光が見えづらいからちょっとどいてほしい、と思うようになったことだ。

 

 確か、小学校の頃だったか。雲が流れていくのを初めて見たときのことを、まだぼんやりと覚えている。風が強い日で、雲の流れがはっきりと見てとれる日だったのだ。小さなものも大きなものも、近くにあるようで遠い白い煙が、次から次へと空を流れていくのが、ひどく不思議で飽きなかった。確か夕暮れに近かったのか、雲の影の部分がくっきりと見えていた記憶がある。違うかもしれないが、綺麗だった。

 同様にもう一つ覚えているのが、月だ。金色の月。

 月はいつも白に近い銀色だが、満月の時など、たまに金色になる。まだそれを知らなかった頃のことだ。どういう状況だったかは忘れたが、金色に輝く月を見た時、目を奪われた。いつも冷たい色をしている月が、あんなに暖かそうな色をしている。それが、強烈に記憶に残っている。後に「荘厳」という言葉を知ったとき、その時の月が記憶によみがえった。まさしく、そう言うべき月だった。

 

 初めての時の感覚は、すぐに消えてしまう。忘れがちな記憶だけが頼りだ。だからそれを思い出したくて、空を見るのかもしれない。でもそういう時に限って、どんより曇りだったりするのだ。ままならない話である。