浜辺にて

 ただの景色に、人はなぜこうも心を洗われるのだろう。

 多分、人の手が入っていないからだと思う。

 

 その日、唐突に海が見たくなった。

 俺の住む町は海から遠い。だから、財布だけ持って電車に乗った。海のそばにある駅までは、大体2時間ぐらいらしい。ちっぽけな車両が山の間を抜けて走っていく間、ぽかんと窓の外の景色を眺めていた。時々駅名の書かれた路線図を眺めて「いったいどうして俺はこんな所まで来てしまったんだろう?」と思ったりした。

 

 勿論、何事も起こらない。

 事故は起こらない。劇的な出会いもない。巡り合わせなんて論外、それが現実だ。

 

 駅に着いたとき、太陽が西に傾き始めていた。そもそも乗客の少ない電車だったし、駅そのものも寂れた無人駅だったから、降りたのは俺一人だけだった。駅の周りは低い民家がぽつぽつ建ち並んでいるだけだ。目に痛いくらい青い空の下に、もう少し目に優しげな海が広がっているのが、探すまでもなく見てとれた。誰もいない駅を抜けて、まっすぐに海へ歩く。誰も歩いていない道は、住んでいる町にはない。新鮮さが、心地よかった。

 

 人間の七割は水でできている。有名な話だ。

 けれど俺には、その水はいつも濁っているように思われる。

 小学生が遊びで色を混ぜすぎた墨流しみたいなもんだ。

 俺たちを作った神様がいるなら、そいつは間違いなく精神年齢が一桁だろう。あるいは、中二病を患っていると思う。

 

 しかしそれに比べると、海というのは随分綺麗だ。

 昔はもっと綺麗だったのだという。

 でも、見慣れない俺には今でも十分綺麗に見える。

 百年後、たとえこの海が今より汚れたとしても、その海を眺めてその時代の人間は「美しい」と言うのかもしれない。結局、その積み重ねが地球をここまで追い込んだのだし、人間は今更、この便利さから逃れられない。

 

 海に来ると、いろんなことを思う。

 大抵は寂しいとか、空しいとか、そういうことだ。

 そしてそれを通り越すことが、たまにある。

 そういう時、世界は今までよりずっと綺麗に映る。

 そうして今、海を眺めて俺はこう呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ATM、どこにあるかな」

 

 金を下ろし忘れて、帰りの電車賃がなかった。

 いつだって何かしらダサい。それが俺だ。

 薄っぺらい財布を握りしめて立ちつくす俺の頭上を、カモメが一羽、俺を嘲笑いながら太陽の方へ飛んでいった。