春より温い、暖かさによって

 脳味噌が、ぼんやりする。早起きしたせいだ。

 窓の閉め方が甘かったのか、今朝6時頃、ぐっすり眠り込んでいる私の部屋の中にハチが侵入した。鬱陶しい羽音を撒き散らかし、閉め切ったカーテンの内側でばたばた暴れて私を眠りからたたき起こした。ぶち切れたので枕元のティッシュを掴んで迅速に駆除し、死骸を窓の外へ放り投げてもイライラは収まらない。結局散歩をして煙草を一本吸い、ようやっと落ち着いた。そもそも六時に目覚めるような超健康的生活を営んではいないので、朝日の眩しさがむしろキツい。いつの間にやらすっかり夜型の体質へ変貌していたのに気づくのも、やっぱりややキツい。確実に私の生活は、健康から遠ざかっている。まあ別にいいけど。

 こうして虫が出てくるようになると、暖かくなってきたなと実感する。そろそろ夏服を引っ張り出さねばならない。埃が立つから好きじゃないのだが、暑さには耐えきれない。

 私はどちらかといえば寒がりの人間だから、暑さはさほど嫌いじゃない。だが虫は、 チョウやカブトムシみたいな一部例外を除いて好まない。もともとアブ、ハチやハエといった羽虫の類は鳥肌が立つ音をたてるので好みじゃないのだが、今日の一件で決定的に嫌いになった。ホントもうなんなのアイツら。粉微塵に吹き飛んでしまえ。

 

 ま、ともかく。

 今日の話は虫じゃない。

 食事、についてだ。

 

 私は一人暮らしだ。

 一応、ある程度の自炊をしている。料理に隠し味をつけてみたりしているとか、一週間分作り置きしているとかそのレベルではないが、それでもほぼ毎日料理をするし、米も炊く。昔は出来合いの総菜で済ませることもしばしばだったが、最近はめっきり減った。結局総菜の方が値段が高いことの方が多いし。

 ただ、そんな程度の腕だから、レパートリーはそんなに多くない。そもそも何をするにも貧乏根性丸出しの人間なので、自然できる限り安いものを選ぶ方へシフトしていってしまう。私が一番よく使う野菜はタマネギとモヤシだ。だって安いから。

 更に言うなら、洗い物も減らしたい。一人分とは言え、洗い物の面倒くささは馬鹿にならない。多分一人暮らしの人間の中に料理を放棄する人間が一定数いるのは、洗い物が面倒だからだろう。この点は、いろんな人から共感を得られると信じている。実際夕飯のあと、流しの中にフライパンや炊飯器のお釜や食べ終わった食器がみっしり入っているのは、いつまでたってもげんなりくる光景だ。

 というわけで、そんな面倒くさがりの私の定番は丼である。安上がりで食器の数も少なく済み、野菜も肉もいれられる。大抵の食材は、炒めて卵でとじてしまえばなんとかなるものだ。

 翌朝の朝食は大体、残した米を温めて納豆ご飯にする。それと一緒にインスタントの味噌汁。納豆は、ご飯のお供としては私が知る限り最も安く、食事の量が増え、栄養価が高い。実家にいた頃は漬け物とかの方が好みで、納豆はあまり好きじゃなかったのだが、自炊を始めてからはほとんど毎日のように食べている。不思議なものだ。

 

 

 ただ、最近気づいた。

 飽きてきている。確実に。

 ことに朝食だ。この間など、なにか粘土のようなものを噛んでいるかのように感じた。味がほとんどせず、味噌汁も水同然に感じる。朝食を食べ終わるまでがひどく長く、窓の外の景色を眺めながら「なんだこれは」とずっと考えていた。

 こういうとき、対策は簡単だ。何か別のものにしてしまえばいい。丼なら味付けを変えるだけでもいいし、なにもご飯のお供は納豆だけじゃない。世の中にはスーパーマーケットという便利なお店があって、大体のものは手に入る。まして料理の種類など、人一人が食べきれないほどいっぱいあるのだから。人間が、その歴史の中で積み上げてきたのはつまるところ、長い人生に飽きないための様々の手段、と言ってもいい。我々はゾウガメと違って、ただのんびりと島の中を歩き回り、たまに甲羅に首を引っ込めたりするだけの生活に意義を見出せはしないのだ。だから、感覚を変える方法を、我々人間は豊富に持っている。それを使えば済む話だ。

 

 

 ただ、思う。きっと飽きだけではないと。

 多分、一人きりでいるせいだ。

 たまに誰かと食事をすると、食べていたことを忘れることがある。要するに、話したりなんだりに熱中してしまって、ということなのだが、それは一人ではできないことだ。独り言を喋り続けながら食べるわけにもいかないし、第一そんなのどうやればいいのか分からない。だから一人の夕飯も、その次の日の朝食も、むっつり黙って食べるしかない。そんな中で同じようなものをずっと食べていれば、飽きは倍速でやって来る。それこそ、味を感じなくなるほどまでに。

 最近、我が家の小さな棚に調味料が増えてきた。そんなことすら、たまに空しく感じるときもある。思いつきで、いつもと違う料理にチャレンジしてみる。確かに美味しいのだけれど、その感覚がどこか遠くのことのようでもある。そんな折々に、確実に蝕まれている、と感じる。孤独とは、つくづく厄介な病だ。

 ガラパゴスのゾウガメは、その長い生涯を、何を思いながら過ごしているのだろう。彼らもまた絶滅の危機に瀕している生物の一種だそうだが、仲間に会えることも少ない中で、何が彼らを退屈から呼び戻しているのか。人間は、こんなに飽きっぽいというのに。いやそもそも、彼らは退屈を感じているのだろうか?

 

 

 背後で米の炊けたことを知らせる電子音がした。

 私の家では、米もそんなにいいものは無い。スーパーで売っている、安い米だ。

 でも、自分で炊くと、そんな米でも存外悪くない。

 長ったらしい話はここまでにして、夕飯を作ることにする。

 今夜は、麻婆丼を作る予定だ。豆腐もやっぱり、安いのでちょくちょく使う。

 でもいつか、この狭い家が、誰かの手料理が待っている家になったら。

 長い時間の中では、時にそんな、甘ったるい考えが浮かぶこともある。

 暖かくなってくると、脳味噌も緩んでくるらしい。