一人の、敵

 夜中、ふと目を閉じて耳を澄ますと、隣の部屋の住人が流している音楽が微かに聞こえる。知らないメロディー、覚えのない歌詞。テレビもラジオもない生活になってしばらく経つが、こういうとき少しだけ後悔する。

 

 先日、NHKの受信料に関する法律が最高裁で合法と認められたらしい。なんという悪夢であろう。世のあらゆる一人暮らしの人間たち、テレビを導入する金銭的余裕のないものたちに対していわれなき強制取り立て通知を幾度となく送付し、もし払わねば法律違反であると脅してくるあのうざったい文書が、ついにこの国の司法のトップによって保証されてしまったのだ。勢いづいたNHKは、払っていない分は数十年前までさかのぼってでもすべて徴収すると息巻いている、等と報道するところもある。このままいけば、あの無視するのもなんだか躊躇われる、しかし結局は何事もなかったがためにこれまで諦められてきたあの封書が、通常の三倍ペースで自宅へ送られてくるのではなかろうか。いや、国家というバックを使い、我々の銀行口座を知らないうちに掌握し、好き勝手に受信料と称して我々のなけなしの残高を0にしては嘲笑う遊び、なんていうのを始めるのではなかろうか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・なんだか自分でも馬鹿らしくなってきた。さすがにそこまでやったら訴えられるだろう。いくら何でも。

 

 私は現在一人暮らしだが、この生活を初めてそろそろ一年になろうかというところである。その間に先述の受信料払え通知が二回、新興宗教の勧誘が一回、新聞の勧誘が一回来た。すべて無視、もしくはドアを開けずに対応するにとどめたが、ドアを開けたらどれほど厄介な事態に直面したかを考えると今でもイライラする。

 忘れられないのは宗教の勧誘だ。

「夜分に申し訳ございません。世のあらゆる人々を救ってくれる、聖書に興味はございませんか?」

 あるわけがない。そもそも我が家は代々仏教である。

 しかしあの手の存在がいなくならないのは、あのふざけた勧誘に引っかかってしまう被害者が今でも一定数いるということを暗に示している。人間の性なのだろう、信じるものが必要なのだ。

 皆も気をつけよう。敵はいつも、我々を狙っている、らしいから。