好きなもの? フィリップ・マーロウ
この間、文豪について書いたが、その続き、でもないかもしれない。
せっかくこんなことをしているし、たまには偉そうなこともしてみたくなった。
私の好きな作家と、その作品について、ここに書いてみたい。
作家の尊名は、レイモンド・チャンドラー。
そして主人公の名はフィリップ・マーロウ。ケイシー・ライバックとは違う意味で、世界最高峰のタフガイである。
いきなり始めるのは失礼なので、一応まずは、軽く説明から。
チャンドラーは既に没後50年以上経っている作家であるから、今時の作家、というわけではない。しかし現代、そしてこの日本においてでもチャンドラーのファン、いわゆるチャンドラリアンを自称する人々は数多い。著名なところでは「新宿鮫」シリーズで知られる大沢在昌氏や、「水滸伝」「岳飛伝」などの著者(ホットドッグプレスと言ったほうが分かる方も多いか)北方謙三氏が公言しているほか、近年では村上春樹氏による積極的な翻訳が行われ、これまではほぼ清水俊二氏の訳のみ(「大いなる眠り」のみ、双葉十三郎氏訳のもののみだった)であったチャンドラー作品に新鮮な息吹を吹き込んでいる。この新訳は、清水氏以後実に50年以上の時を経ての刊行となった。近年でもなお、ハードボイルド小説の一つの到達点として、チャンドラーの作品は専門家一般問わず、高い評価を受けている。
我が国におけるチャンドラー作品の人気は、ひとえに清水氏によると言っても良いかもしれない。「さらば愛しき女よ」に代表されるどことなく馴染みやすいタイトル。英語の原文が持つ、感情表現を極限まで廃した独特の味わいを損なわない見事な訳。そしてその訳によって生まれた、数々の名文。チャンドラーを知らずとも、その中で生まれた名文の文句だけなら聞いたことがある、という人も多いだろう。これについては、後半でもいくつか例を挙げる。
若者に分かりやすい最近の例がある。アニメを見る人々なら多くの方がご存じであろう、コードギアスシリーズ。最近再編集された総集編三部作が劇場公開され、記憶に新しいあのアニメで、主人公ルルーシュのこんな台詞がある。
"撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ"
以下該当シーン。
コードギアス ルルーシュ 短編名ゼリフシーン 「打っていいのは打たれる覚悟のあるやつだけだ」
作中でも名シーンの一つと名高いこの場面で彼が口にしたこの台詞も、元ネタはチャンドラーなのである。チャンドラーの長編第一作「大いなる眠り」で、主人公マーロウがこれと同じ台詞を口にしている。我が家にある村上春樹訳においては、このように訳されている台詞だ。
"「ただしもっと射撃がうまくなるまで、人を撃つのは控えた方がいい。それが忠告だ。覚えたかい?」"(ハヤカワ文庫版342ページ)
いかんせん場面が場面な上、マーロウがこの台詞を言っている相手がヤクザなどではなく、いささかどころじゃなくアブナイ資産家のお嬢様というのもあるが、全然違う台詞じゃないか、とお思いの方も多かろう。しかし、そもそも有名になっているほうの訳も、相当な意訳なのである。原文そのままの意味としては
「だがいいかい。決してそいつを人に向けて撃つんじゃないぜ。自分が撃たれても構わないというんじゃない限りな」
と、いうような意味の文なのだ。これを意訳した結果が、現在流布しているあの文章である。確かに、主人公の決めゼリフとしては日本語らしくまとまった形のほうがいいということなのだろう。英語の原文そのままの意味では、いかにも長ったらしくてアニメなどには向くまい。
ちなみに上記の台詞は、コードギアスシリーズ全体を通してのテーゼともなっている非常に重い台詞である。細かく言うとネタバレに言及することになるのでここでは話さないが、お世辞抜きで非常に面白いアニメなので、未視聴の方は是非見てほしい。
さて、閑話休題。
チャンドラーはもともと、アメリカにおけるパルプ誌での短編小説で出発した遅咲きの作家であり、生涯で執筆した長編は七本に留まっている。そのすべてがマーロウものなのだが、そのうち六作品までが現在までに何らかの形で映像化がなされているというから、その人気のほどが窺い知れよう。ちなみに小説家となる前は、ハリウッドで映画の脚本に参加していた時期もあったという。
しかし、その人気に水を差すような気がしないでもないのだが、チャンドラーの作品に「ミステリー」としての面白み、すなわち「主人公が不可解な事件に敢然と立ち向かい、鮮やかに謎を解決する」といった類の楽しさを見出すのは、難しいかもしれない。というのも、特に第5長編「かわいい女」(村上春樹による新訳題「リトル・シスター」)に顕著なのだが、チャンドラー作品においては、謎が謎のまま解決されない、ということが散見されるのである。有名な逸話としては、第1長編「大いなる眠り」を映画化するにあたり、監督を務めたハワード・ホークスがチャンドラーに「この殺人(作中では何度か殺人が起きるのだが、そのうちの一つ)の犯人は誰なのですか?」と尋ねたところ、チャンドラーが「私も知らない」と答えた、というものがある。やや極端な逸話だが、チャンドラー作品とはそういったものだ、ということだ。
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余談だが、上記のハワード・ホークス監督による映画は、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールを主演に迎え、日本においては「三つ数えろ」という邦題で界隈では有名な作品となっている。ボガートが、マーロウというにはいささか背が低く、かつ若くもない(実際このために、作中冒頭のマーロウの身長に言及したやり取りが小説と映画では異なってしまっている)のだが、渋さの中に熱さのこもった大変いい演技を見せてくれている。こちらも御覧になるとよろしいかもしれない。40年代のモノクロ映画だが、控えめに言って大変面白い。
しかし、私は必要とあらば何度でも言うが、チャンドラー作品の面白さは一つ一つのシーンすべてにある。私はずっと感じているのだが、チャンドラーの作品にはどこかしら、斜めな部分がある。誰もが何かを抱え、それ故にまっすぐではなく、どこか歪んだ、しかしそれでいて完成された、どうにも述べにくい独特の雰囲気を作り出している。作品全体に満ちているその雰囲気こそ、チャンドラーの最大の魅力だと私は感じて止まない。
そして、その作品世界の象徴が主人公、フィリップ・マーロウである。
彼のプロフィールを一部紹介しよう。ロサンゼルス在住の私立探偵。チェスを数少ない趣味としているが、もっぱら棋譜を並べていることのほうが多い。かつては地方検事のもとで仕事をしていた時期もあったが「命令への不服従」により辞めている。一日につき25ドル+必要経費、という薄給で、離婚問題を除くあらゆる仕事を請け負う。時には頭をどやされ、銃を突きつけられ、警察に睨まれ、監禁されることもある。ひどいときになると、麻薬漬けにされて怪しい病院に放り込まれたり、たった一人でギャングの元締めが取り仕切る船に忍び込まなくてはならなくなることもある。それでも自分の定めたルールのみを頼りに、時には高額の依頼金を突き返してまで、自分の目指すゴールを諦めない。そんな魅力溢れる本物のタフガイが、この物語になんとも言えない素晴らしい味わいをもたらしている。
その味わいの最たるものが、マーロウが使う独特の台詞回しだろう。誰に対しても決して媚びないこの男の、皮肉とウィットをふんだんに効かせたまさしく斜めな台詞の数々は、いくつもの名言を生み出してきた。以下、いくつか例を挙げてみよう。
なお、引用はすべて村上春樹による新訳版からである。
"「男ってみんな同じなんだから」" "「女だってみんな同じですよ。最初の九人を別にすれば」"(「さよなら、愛しい人」357ページ)
マーロウは、金持ちの女を好かない。ことに金持ちで高飛車かつプライドが高い女に対しては一切容赦しないのだが、これはその一つ。強烈な返しである。しかもそれでいて、そういった女たちからマーロウは例外なく好意を寄せられている。余程相性がいいのか、悪いのか。
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"「もう乗った方がいい」と私は言った。「君が彼女を殺さなかったことはわかっている。だからこそこんなこともするんだ」"(中略)
"「すまない」と彼はひっそりと言った。「しかし君は考え違いをしている。これから飛行機に向かってとてもゆっくり歩いていく。とめるための時間はある」"(「ロング・グッドバイ」ハードカバー版51ページ)
チャンドラーの最高傑作と言われる「長いお別れ」は、一口に言ってしまえば男同士の友情がすれ違う話である。結局マーロウは彼を追わないのだが、この別れのあと、極めて困難な状況と哀しい結末がマーロウと読者を待ち構えることとなる。しかしそのただ中にあってもマーロウはあくまでもタフだ。例え相手が悪警官でも、高名な弁護士でも、誰も逆らえない大富豪でも。そのタフっぷりたるや、自分が納得できないがためだけに、マディソン大統領の肖像に見向きもしなかったほどである。そしてそれらの、敵を増やすばかりに思えるタフぶりの理由はすべて、自分を友と呼んだたった一人の男を信じると決めた、自身の決断ただ一つだけなのである。それだけで何者をも相手に回して戦える、それがマーロウの強さなのだ。
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"さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ"(同上512ページ)
恐らくマーロウの台詞の中では、群を抜いて有名な一文。マーロウ自身がフランス人のひとことだとしていることから、フランスの詩人、エドモン・アロークールの一節がもとであるともされる。
自他共に認めるタフガイのマーロウだが、時折脆い部分を覗かせることがある。「長いお別れ」の中で、彼はそんな人間らしさをたった二人の人間にだけ垣間見せた。これは、そのうち一人と別れた直後の彼の独白。自分に従って生きている彼にしては珍しく他者の言葉を借りた台詞であり、皮肉無しの哀しみをせめて僅かにでも、と隠しているかのようでもある。
"涼気の感じられる日で、空気は透明だった。遙か遠くまできれいに見渡すことができた。しかしさすがにヴェルマが向かったところまでは見えなかった"(「さよなら、愛しい人」467ページ)
物語の最後、すべてが終わり、警察署を出た直後のマーロウの独白。
チャンドラーの作品は、詩的かつ独特の情景描写が随所に使われ、そのいずれもが作品世界にさりげなく美しさと鮮やかさを添えている。しかしそれらのなかにあっても、この1文の完成度は卓越していると言っていいだろう。しかしただこの文を取り上げるだけでは、そもそもヴェルマが誰かも伝わらない。ぜひ本書を一読し、この文章の真の意味を感じ取っていただきたい。
まだまだたくさんの魅力的な文章が、マーロウシリーズには詰まっている。最近では新訳が出版されたおかげで図書館などにも比較的シリーズが並ぶようになってきているし、是非一度、どれでもいいので一冊手にとって、その面白みと魅力を味わってみてほしい。損はしない、はずだ。
もちろん、世の中に例外はつきものだ。肌に合わないならそれはそれでしかたがない。
しかしもし、この記事をきっかけにチャンドラリアンが一人増えたとしたら、それは私としても、私事をぶちまける冥利に尽きるというものである。
最後に、恐らくチャンドラリアンの間ではもっとも有名な文章であろう、次のマーロウの一言で、この長くなった記事を締めさせていただきたい。この文章だけが一人歩きしている感もあるが、それを差し引いても格好いい台詞なのだ。(ただ、本場アメリカではこの台詞の知名度はさほど高くないらしい。日本でだけ有名な台詞なんだとか)そしてなにより、この言葉ほどマーロウの生き様を端的に表した言葉も他にない。
では。
"「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」"(「プレイバック」清水俊二訳266ページ)
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