Star Inn Tokyo日記 16(最終回) 陳謝

 本日、契約上のすべての業務が終了した。というわけで、現在の私はもう東京にはいない。二十日ぶりの懐かしき我が家で胡座をかいてこれを書いている。東京と違って、こちらの夜はかなり涼しく静かなので、久しぶりに接すると随分感覚が違う。あと空気が美味しい。煙草の味もひと味違って感じられる。惜しむらくは、今日雨が降っていたということか。高速バスの車窓越しに見た町は、雨に煙ってよく見えなかった。大荷物を抱えて帰ってきた状況で雨に出くわすのは、さすがに少ししんどい。

 

 

 さて、Star Innで働くこと約二十日。その間、ここに書いただけでもいろんな事があった。ましてその隙間のプライベート面まで含めればさらに濃い日々だったと思う。いろんな機会があったことが、ひとえに楽しかった。もちろんそこは人の世の中での出来事と期間だから、なにも良いことばかりなんてことはないわけだが、しかしそれを差し引いてもそう思う。無駄にしたくはない。金の面でも、経験値の面でも。実際すべてが終わった今だから思うことだが、ひょっとすると下手なインターンシップに出かけるより余程社会に近い日々を送っていたんじゃないかと思わされた。しばしば話題に上したように今のStar Innは従業員がさほど多くないので、一人の請け負う業務量やその重要性が自然と高まるのだ。私は、友人兼上司の方針に基づいて金銭面の対応に関わることはあまりなかったのだが、私が実働をしている間フリースペースでデスクワークを続けている彼の姿は、自分と同い年に見えづらかった。私はこれまで非正規雇用の労働しかしていなかったが、随分本当の労働とかけ離れた場所で動いていたらしい。大体、働く理由からして金のため以外殆どなかったのだから。

 私と際だって年の差が開いているわけでもないマネージャーが日々経営問題と客入りでパソコンと遅くまで向かい合い続けていた姿が、今更のように思い出される。他に誰もいないから、やるしかない。若さ故の邪推だが、恐らくそういう理由だけでああいったことはできないのだろうと思う。

 就職。社会。人生。大人。

 このままじゃ間違いなくやっていけない。今の大人たちは(一部どうしようもない例外はいるが)みんなあれにちかいことをやって、今の社会を成り立たせている、ということなのだろう。それだけのことをやれるようになったのは、何が理由だったのだろう? 責任を背負って、理不尽を飲み込めるようになるのに、あとどれだけの何が必要なのだろう? 考えてもすぐにはさっぱり分からない。

 なんてことを考えていたら、うっかり猫に羨望の眼差しを向けてしまった。なにせ、責任のせの字も知らないという顔をして悠々と目前を通り過ぎて行きやがったから。野良猫がどこで何をしているのか、それも一つの不思議と言えるが。

 

 

 そう遠くないうちに、私も(恐らく、今のところその可能性が一番濃厚ということだが)正規雇用という形をとって社会のシステムに深く入り込むことになるのだろう。その入口とその先で、この夏の何かが活かせる、そうでなくとも思い出せる、そうできるようにしたいと思う。二十日間、見限らずに働かせてくれたあの人たちに、そうすれば少しはまともな面で会えるんじゃないかという気がする。

 最後に、マネージャー、オーナー、これからStar Innで働く私が会った何人かの新規のバイトの人たち、そして誰よりも長い付き合いの友人兼上司へ。

 約二十日間、お世話になりました。本当に、ありがとうございました。

 以上。この日記、終了につき、悪しからず。

 

 

 

Star Inn Tokyo日記 15

 平成最後の夏も終わりかけのところまで来ているが、それはしょせん日本だけの事情。海一つ隔ててしまえば年号などさしたる問題ではないということのようである。そんなわけで今日も新しい人の実働状況に目を配りつつ、せっせと外国人の皆様相手に慣れない英語を駆使し続けることになった。というか昨日今日にかけて予約がどっと入ってきたので、そのイレギュラー対応に追われることになった。お客が増えるのは働く側としてはありがたいこと、というのはもうとうの昔に承知しているが、この暑さの中遠路はるばるよくお越しですね、というのが正直な印象だ。しかもそれでいて、今フリースペースではアメリカ人の若い男性3人組がNetflixメン・イン・ブラック3をにこにこ笑いながら見ている。他にもマレーシアからお越しのけっこう日本語が話せる学生やフランス人の美女二人連れ、同じくフランス人のスーパーアクティブな七十代のご夫婦等々、今日もここは人種国籍入り乱れて実に賑やかである。

 ただ、よりにもよって七十代のじいさまが、パンツ一枚でフリースペースに入ってきたのにはぎょっとしてしまったが。

 

 

 外国人の方々と接していて思うのは、ひとえにパーソナルスペースの狭さだ。お客によってはないに等しい人もいる。みな気さくだし、ちょっとやそっとのことでは目くじらを立てたりしない。詳しく見たわけではないが、どうやら相部屋同士で仲良くやっていたグループも少なからずいたようである。

 翻って日本人のお客を見てみると、パーソナルスペースがなかなか広い。こちらに積極的に絡んでくる日本人のお客さんは、記憶にある限り一組二組しかいなかった。口を開くのは何か尋ねるときだけ、という人が多い、というのが正直な印象だ。

 かつてアメリカに行ったときにも思ったが、欧米圏の人々はとてもフレンドリーだし、いい言い方をすればおおらかである。実際問題、ろくに英語も喋れないし聞き取れもしない私が二週間以上もあの国で五体満足のままやっていけたのは、メンバーのみんなが根気よく私と話してくれたから、というのが一番大きかっただろう。そうでなければ早い段階で喋る相手がいなくなっていたに違いない。返す返すもお国柄に助けられた、というのが感想だ。ツアーメンバーアメリカ人はいなかったのだが。

 そういう欧米圏の空気が、ここでもいいように作用している。多少たどたどしくても、いちいち翻訳を使っていても、彼らのおおらかさの前ではなんとなく大丈夫、という感じになってくれる。おかげで前も今回も、随分長いことやり続けることができた。そのうち金を貯めて、またどこかに出かけたい。今度はヨーロッパか。

 

 

 ただ、一つだけいうなら、おおらかさにも悪い言い方がある。

 カンとビン用のゴミ箱に、しれっとペットボトルが捨ててあったりする大雑把さ、という言い方が。

 いいところと悪いところ。どこでもなんでも、そんな風だ。

 

Star Inn Tokyo日記 14

 目新しい話ができた。

 今週から、新しく入った新人さんがやってくることになった。というわけで、現在実働担当の私が、彼ら彼女らの指導を行うこととなった。いったい何の冗談だろう、と思わなくもないが、そもそも人手が足りないから私が雇われたのだし、経験のある人間が経験のない人間に仕事を教えるのは至極当然のことだ。そもそもそれがなければ誰も仕事なんかできやしない。というわけで僭越ながら新人研修めいたことをやることになった。ただ一つ、なお難点を挙げるとするなら、その教えなければならない相手がこぞって私より年上ということぐらいか。まったく、わけわからないお話。

 

 

 このところ知り合いにあう機会が多かったこともあって青砥への帰りが軒並み終電続きであり、従って更新し損なう日々が続く有様となってしまった。情けない話だが、だからといって更新を今更止めるわけにもいかない。ネタを見つけて更新しなくちゃ、だ。冷房利かせた今のベッドで、あくせくこいつを書いている。

 新人指導なんて格好付けたところで、しょせんは働き始めて二週間の人間がやることだから、忘れることや至らぬことも多い。明日もまた新しい人が来るのだが、その人も確か二回り年上だった。むしろこっちが緊張してしまう。そんなあれこれを抑えるためにNetflixルパン三世やら水曜どうでしょうやらを見て、気を紛らわしている。生まれて初めて水曜どうでしょうを見たが、あれほど面白い番組だとはついぞ知らなかった。なるほど、全国区まで進出できるわけである。こんなことならもっと早くに見ておけばよかった。みなさんもStarinnに来れば従業員に頼んで見ることができる。是非青砥に、だらだらした一日を過ごしに来て欲しい。私はいないかもしれないが、私が教えた人が働いているかもしれない。それはあなたがいつ来るか次第だ。ただまあもうすぐ夏も終わってしまうし、できるだけ早めのご来駕をおすすめしておく。もうすぐみんな、休みが終わってしまうのだ。

 

 

 今日、棚の掃除をしていたら珍しいものを見つけた。外国のコインなのだが、どこの国のものか分からない。しかもジャラジャラと結構な量が出てきた。気になったのでGoogle先生にお尋ねしてみたら、スイスフランの硬貨だということが分かった。なんでもスイスとリヒテンシュタインとかいう国でしか正式に使われていない硬貨らしい。なんともまあ、珍しいものがでてきたものである。せっかくなので、許可を取ってもらっておいた。何かの役に立つかもしれない。

 しかし、以前お客さんに余っているからとユーロセント硬貨の一式セットをもらったのだが、今年のお土産はやけに金属質だ。今度どこかで本でも買ってこようかと思っている。

 しかし時間はない。私自身の終わりも、すぐそこだ。

Star Inn Tokyo日記 13

 今更ここに書くまでもないが、戒めとしてあえて。昨日更新し損なった。ついに丸一日空きを作ってしまった。いや、今までだってちょくちょく日付超えてから更新した記事があるからそれも今更なのだが。しかし、自覚は必要だ。なぜ忘れてしまったのかは皆目見当がつかない。確かに飛び入りのお客こそあって慌てたりしたが、特に客入りが多いとかいう日ではなかった。やはり、慣れから来る緩みか。人を真に堕落させるのは単調と退屈ということなのだろう。いや、単調というのは違う。ここは単調なんてとんでもないことばかりだ。今日も若い男性団体のお客が、持ち込んだスマブラで盛り上がっているのを見た。仲良くしてくれた関西弁混じりのアメリカ人たちも、次は静岡に向かうんだ、といってチェックアウトしていった。日々いろんな客がやってきては去っていく。そのどこが単調か。

 まあともかく、忘れた。そのことだけはしっかり覚えておく。

 

 

 週末ということもあってか、今日は予約が多かった。今日だけでキャパギリギリの数のベッドを用意している。ひたすらのベッドメイキングはアレルギーとの戦いだ。一つ敷いては鼻をかみ、一部屋終われば顔を洗う。その繰り返し。明日、いや今日も結構な数の予約が入っている。ありがたいことだ。誠心誠意敷かせていただこう。眠ったあとで、の話だが。

 チェックインのための用意をした後で、今日は高校時代の先輩たちと渋谷で飲んだ。しばらくぶりに会う人たちだが、いつも変わらずにいろんな話で俺を可愛がってくれる。そういう人たちがいるから、飽かず東京に帰ってこようと思うことができる。いいことばかりというわけでもない高校時代だったが、財産を作っておけたのは本当に僥倖だった。おかげでいつも楽しみがある。先輩方、いつもありがとう。

 大分遅くまで飲んでいたので、帰りは終電になった。おかげでこうして日付を跨いでの更新になっているわけだが、終電に乗って分かったことがある。今までレイトチェックイン(規定時間以後のチェックイン)のお客はこれに乗っていた人たちも少なからずいたのだろう。きっとさぞ、疲れていたんだろうなと思った。かつてアメリカに行ったとき、飛行機の中でろくに寝られずホテルへ向かうシャトルの中で危険も顧みず爆睡したことがあったが、旅行というのはやはり体力が求められる行動だ。ここは寝ること、休むことに特化した施設。そんな人たちがぐっすり休めるようなベッドを、明日も頑張って用意しよう。そんな気持ちになった。

 

 

 青砥は都心からいささか距離があるので、移動があるときはよく本を読んでいる。

 ようやく、読んでいた「ドグラ・マグラ」が終わりに近づいてきた。

 そして、ここでの仕事もあと一週間。

 季節もそろそろ、秋が見え始めている。いろんなものが、変わろうとし始めている。

 また猛暑だと、JRの社内電光板は主張していたが。

 やれやれ、クーラーにまだまだ、頑張ってもらわなければ。

Star Inn Tokyo 12

 この日記も十を超えたので、仕事上の確認があったのも兼ねてざっと今までの記事を見直してみたのだが、存外日付を超えていたり、ちょっと内容がかぶってたり、なんだこんなもんか、という感じだった。しょせん一人仕事だから、ちょくちょく詰めが甘い。日付超えてから更新している今日も今日だが。

 

 

 泊まっているお客は、これまでも書いてきたようにバラエティーに富んでいる。人種、国籍、年齢、職業、大勢を占めているというような共通項はほとんど見出せない。強いていうなら若者が多いこと、職業が学生の人間が少なからずいること、そして何より八割方が外国人だということぐらいだ。だから、彼ら彼女らの行動もその人と時によって実に様々に変わる。

 例えば、一日部屋に閉じこもって出てこないお客がいたりする。聞き耳を立てていたわけではなくここの構造上そうなってしまうというだけなのだが、特に話し声が聞こえるわけでもなく、一日中静かであった。ちなみに、若い女性の三人連れである。一番ずっと喋っていそうに見える集団がその実、今ここに泊まっている中でどこよりも静かだった。そしてたまに、恐らくはトイレかシャワーだろう、部屋から誰かが出てくるときがあったのだが、表では絶対に拝めなさそうなラフ極まる格好だった。ひょっとすると相当、日常生活で疲れているのかもしれない。いやそれは邪推が過ぎるか。

 またこれは偏見であるかもしれないことを断った上で。昨日も書いたアメリカ人男性二人連れ。今さっき玄関で行き会ったのだが、こんな深夜にどこへ行くのかと尋ねたら、ランニングに行くのだという。わざわざランニングシューズを別に持ち込んで、こんな異国の地でまで、しかもこんな寝静まってから走りに出かけるとは随分とアクティブだ。近くの川までの行き方を聞かれたので、簡単に教えた。生まれてこの方運動嫌いで自分から運動したことなど数えるほどしかない私からしてみれば、かつて高校時代外周をしている運動部の連中を見たときの気分だった。よくやるなあ。

 

 

 どこそこへ行くというプランをしっかりと立て、朝早くから夜遅くまであちこち出かけているお客がいる。ノープランの行き当たりばったりで、とりあえず思いついたところへ出かけるお客もいる。遠くへ出かけるのではなく、休息こそを第一としてゆっくりと遅くまで寝ている客もいる。東京という町は徒歩圏に基本なんでも揃っているから、どんな過ごし方も一通りできる。ましてこういった泊まることに特化した宿泊施設であるなら、その選択肢は更に広い。人がどんなプランで動いているのか、それが眺められるのもここの悪くないことの一つだ。

 ただ、今それができる人間がそう多くはないことも、ここを見ているとなんとなく分かる。かく言う私も含め世の大多数は、今日も今日とて他人の心と渡り合いながらあくせく労働に励んでいるのだから。つまるところ、金か時間か、そのどちらかが(あるいはどちらも)ないのである。

 

Star Inn Tokyo日記  11

 八月もとうに後半に入り、少しずつ夜が早まりだした。あちこちに、鳴き終わった蝉の死骸が転がっている。盆も通り過ぎてしまうと、なんだか妙にさびしげな雰囲気だ。ここは相変わらずの客入りで、退屈も鬱屈もないが。

 

 

 昨晩少し夜更かししたので起きるのが遅くなり、飯が朝食兼昼食になったのだが、これまでになく間に合わせの飯になった。残しておいてもらったご飯にツナ缶をのせ、マヨネーズと醤油をかけた雑な丼と、スーパーで買ったドレッシングもついてない安いサラダ。しかしそれだけでも業務のための燃料補給には間に合う。そもそもここの従業員や経営陣は野郎しかいないので、そんな飯を食っていたところで誰が気にもとめやしない。チェックアウトも終わった昼日中じゃあ、なおさらだ。

 ベッドメイキングも、ここまでくればもう聞かずともいける。最初の頃は二段ベッドの上の段に手間取ったり、ダブルベッドの足にすねをぶつけたりしていたが、すっかりそんなこともなくなった。掃除するときのほこりっぽさにだけは未だに慣れないが。今日も外から戻ってきたら、くしゃみがしばらく止まらなくなったりしていた。布団がたくさんあるから、こればっかりはしょうがない。だからそこは一つ、我慢だ。

 

 

 夕食は、友人兼上司と焼き鳥屋で酒を交えてとった。青砥には何軒も焼き鳥屋があるが、意外にもチェーン店はさほど多くない。だからそのぶん、店ごとの面白みがある。出してるメニューや、串の焼き加減、酒の種類や客層など。時間と金に余裕があれば、もう少し回ってみたかったものだが。まあ、そもそも一人で焼き鳥屋に入るというのも、なかなか難しいことかもしれないが。どうしたって酒飲みたくなるし。

 夜、嬉しい出会いがあった。フリースペースでチェックインのお客を待ちつつNetflixルパン三世を見ていたのだが、それにアメリカ人の男性二人連れが食いついてくれた。おまけに片方の男性が日本語がかなり喋れたので、日本語字幕しかなくても楽しめるという嬉しい展開。そんな彼が見たいというので「血煙の石川五ェ門」を見たのだが、いつものルパンとはひと味違ったハードな展開と漢の世界で、見応え抜群だった。彼らもたっぷり楽しんでくれていたようで、見ながら突っ込みを入れまくっていた。だがそれもしょうがない。みんなハードボイルドだし、五ェ門が不死身すぎるし、不二子ちゃんがショートカットだし。

 ここで働き出してからというもの、日本のアニメ文化の恩恵にあやかり続けている。この国に生まれて本当によかった。みんなで見よう、日本のアニメ。

 

 

 しかし、彼らが部屋に戻った今、思う。

 なぜ日本語が話せる方の彼は、ちょくちょく関西弁が混じっていたのだろう?

Star Inn Tokyo日記 10

 慣れてきたといっても、それでもまだたった10日。生来の性質も相まって、やり落した仕事が日々ちょくちょく出てくる。そういう時、友人兼上司がカバーしてくれるのがありがたい。彼はいつもここにいるわけではないが、いるときは何かしら助けてくれるし、いない時でも遠隔で支持をくれる。本人曰く人の上に立つのは慣れてないそうだが、私には十分すぎる。できる限り煩わせないように努力しよう。もっとも、クレーマーなんぞ襲来した場合はその限りではないが。

 

 

 昨日まで長期滞在していたフランス人の二人組が、きょう本国に帰っていった。しかし、昨日日付超えてもカラオケで散々歌って、そこから荷物の整理をしていたはずだからあまり寝ていないはずなのだが、やけに元気だった。体力どうなっているのだろう?

 昨晩はカラオケに出かける直前に更新したので、その模様を少しだけ。行ったのは私と、彼ら二人、それに当日滞在していたベルギー人の男性客合わせて四人である。さしあたり2時間とって部屋に入ったのだが、最初から最後まで彼らはずっと歌いっぱなしだった。それも主として、日本のアニソンを。時折私が全く知らない英語やフランス語の曲も入れるのだが、断続的にアニソンが投入される。おかげで私もだいぶノれたし、退屈しなかった。一安心である。

 ことに人気があったのが、ジョジョNARUTOだ。テーマソングを誰かが歌うと、サビで大合唱が起こる。その時の熱量のすさまじさは、隣の部屋で歌っていたおじさんたちの集団をはるかに凌駕していた。「シルエット」を歌っていた時など誰もが喉を枯らしかねない勢いだった。誰一人酒は入っていなかったにもかかわらずである。若さとは真に恐るべきエネルギーである。私もそれに少なからずあやかっているが。

 彼らがいなくなってしまったので、職場がいくらか静かになってしまった。しかし午後になって友人兼上司から聞いたところによれば、彼らは帰りのフライトの日取りを一日勘違いしていて、今空港そばのホテルに泊まっているらしい。去ってなお、退屈させてくれないとは、とても楽しくいいお客様だった。

 

 

 彼らを見送るために早起きしたので、私も友人も寝不足気味だった。特に友人はらしくもなく眠り込んだりしていたので、ねぎらいと感謝を兼ねて夕飯を彼の分も作った。わりに好評で嬉しかった。自分の料理を自分以外が食べたことなど、家庭科の授業ぐらいでしかなかったから、また一ついい思い出ができた。